
ジェイムズ・ジョイスの作品には、身近な人たちの存在が感じられるものが多い気がします。『ダブリナーズ』の家族の記憶や、『ユリシーズ』の友人たちの気配、そして『フィネガンズ・ウェイク』にも。
ここでは、そんなジョイスの創作に関わった人たちや、影響を受けた人物のことをまとめました。作品読み解きのヒントとして、利用していただけたらうれしいです。
なお、私はジョイスの作品をまだ読んでいないため、CopilotのコポやGrokの穴田にお話を聞かせてもらうような形で、あれこれ尋ねながら、少しずつ世界の輪郭を教えてもらっています。その聞きながら知っていく時間も、このページの一部になっています。
ジェイムズ・ジョイスのプロフィール
ジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882–1941)
- アイルランド出身の作家・詩人。20世紀モダニズム文学を代表する存在。
- 「意識の流れ」などの革新的な技法で、ダブリンの人々と日常を描いた。
- 主な作品に『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』『ダブリナーズ』『若い芸術家の肖像』。
- 人生の大半を欧州各地で過ごしながら、故郷ダブリンを創作の中心に据え続けた。
このページの人物紹介は、Wikipediaなどの情報をもとに、CopilotのコポとGrok穴田の協力を得てまとめたものです。内容には誤りが含まれる可能性があります。正確な情報は各種資料をご確認ください。
ジェイムズ・ジョイスまわりの人々
少しずつ追加していきます。
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ノラ・バーナクル
ノラ・バーナクル(Nora Barnacle, 1884–1951)/妻
- アイルランド・ゴールウェイ出身。ホテルのメイドとして働いていた。
- 1904年6月16日、ダブリンでジョイスと出会い、のちにBloomsday〈ブルームズデー〉として記念される。
- 同年10月、ジョイスとともにダブリンを離れ、ヨーロッパ各地での生活を共にする。
- トリエステ・チューリッヒ・パリを経て、ジョイスの創作と生活を支え続けた。
- 読み書きは得意ではなかったが、その語り口や感性はジョイスの創作に影響し、『ユリシーズ』のモリー・ブルーム像にも一部反映された。
- 1931年、ロンドンで正式に結婚。
- 1951年、チューリッヒで死去し、ジョイスと同じFluntern Cemeteryに埋葬されている。
ジョン・スタニスロース・ジョイス
メアリ・ジェーン・ジョイス
スタニスロース・ジョイス
スタニスロース・ジョイス(Stanislaus Joyce, 1884–1955)/弟
- ジェイムズ・ジョイスの弟。
- ダブリン時代から兄の創作を支え、批評的な助言を与え続けた。
- 1905年、兄を追ってトリエステへ移住し、語学教師として働きながら兄一家の家計を助ける。
- 兄の生活を支える一方で、日記や回想を残し、のちのジョイス研究の重要資料となった。
- 第一次世界大戦中にはオーストリア当局により収容されるが、戦後トリエステに戻る。
- 1955年、ローマで死去。
- 主著に回想録『My Brother’s Keeper』(1958)。
ルチア・ジョイス
ルチア・ジョイス(Lucia Joyce, 1907–1982)/娘
- ジョイスとノラの娘。
- 幼い頃からダンスに親しみ、パリではレイモンド・ダンカンや ジョゼフ・ルシアン・ソレルらのもとで前衛舞踊を学んだ。
- 1920年代後半には舞台に立つこともあり、しばらくのあいだ芸術の世界で静かに活動を続ける。
- 1930年代に入り、20代後半を迎える頃から、心の不調があらわれ、入退院を経て長い療養生活に入る。
- サミュエル・ベケットとの短い交流や、家族とのあいだで揺れが生じた時期もあったが、ジョイスは執筆の合間に見舞いを続け、できる限り寄り添おうとした。
- ジョイスの死後は、アイルランドやイギリスの施設で暮らし、1982年にノーサンプトンで静かに生涯を閉じた。
- その歩みはのちに研究者の関心を集め、キャロル・ローブ・シュロスの伝記『Lucia Joyce: To Dance in the Wake』などで丁寧に記録されている。
ジョルジオ・ジョイス
ジョルジオ・ジョイス(Giorgio Joyce, 1905–1976)/息子
- ジェイムズ・ジョイスとノラ・バーナクルの長男。
- 幼い頃から音楽に親しみ、若い時期には歌手として活動した。
- パリ時代には、父の創作を支えつつ、自身も芸術の世界に関わる。
- 1930年代、家族の移動やルチアの療養が続く中で、父の実務的な手助けを担うことが増える。
- 1930年代後半に結婚し、のちにスイスへ移住。
- ジョイスの死後も家族として静かに支え続け、1976年にチューリッヒで亡くなる。
スティーヴン・ジョイス
スティーヴン・ジョイス(Stephen James Joyce, 1932–2020)/孫
- ジョルジオ・ジョイスとヘレン・カステラーニの息子で、ジェイムズ・ジョイスの孫にあたる。
- 祖父がスティーヴンに宛てた手紙の中で、フランスのボージャンシーの逸話をもとにした短い童話『猫と悪魔』が書かれた。
- 若い頃から国際機関で働き、のちにOECDで要職を務めるなど、公的なキャリアを歩んだ。
- 1980年代以降、ジョイス家の著作権管理を担い、祖父の作品や書簡の扱いに強い姿勢を示したことで知られる。
- 作品の引用や資料公開に慎重で、研究者との摩擦が生じることもあったが、家族の遺産を守る意識が背景にあったとされる。
- 晩年はフランスで暮らし、2020年に亡くなる。
エズラ・パウンド
エズラ・パウンド(Ezra Pound, 1885–1972)/支援者
- アメリカ出身の詩人で、ロンドン時代のジョイスをいち早く支えた人物。
- 1913年、W・B・イェイツの紹介でジョイスの作品を読み、手紙を送ったことから交流が始まる。
- 『若き芸術家の肖像』の連載を雑誌に取り付け、ジョイスの作家としての認知を広げるきっかけをつくった。
- 『ユリシーズ』の出版に向けて、シルヴィア・ビーチへの紹介や、ハリエット・ショー・ウィーヴァーなど経済的支援者との橋渡しを担い、実務面で大きく支えた。
- 貧困に苦しむジョイスに金銭や衣服を送るなど、生活面でも具体的な援助を行った。
- 検閲問題が起きた際には、ジョイスの作品を擁護する論陣を張った。
- 作品への評価は高く、時に率直な批判(スカトロジー表現など)も交えながら、文学的な意見交換を続けた。
- ジョイスは晩年、「私こそが彼に最大の恩義を感じている」と語っている。
- 二人の往復書簡をまとめた『Pound/Joyce』にも、この交流の軌跡が記録されている。
エディス・ロックフェラー・マコーミック
エディス・ロックフェラー・マコーミック(Edith Rockefeller McCormick, 1872–1932)/支援者
- アメリカのロックフェラー家出身で、文化・芸術支援に力を注いだ人物。
- 1920年代、チューリッヒでユング心理学に関わりながら、ヨーロッパの芸術家たちを支援していた。
- ジョイスの才能を高く評価し、『ユリシーズ』執筆期に経済的な援助を行った支援者の一人。
- 生活が不安定だったジョイス一家に対し、継続的な資金援助を提供し、創作環境を支えた。
- その支援は、ハリエット・ショー・ウィーヴァーと並んで、ジョイスの活動を支えた重要な後ろ盾の一つとされる。
- 晩年はアメリカに戻り、文化事業や慈善活動に関わりながら1932年に亡くなる。
シルヴィア・ビーチ
シルヴィア・ビーチ(Sylvia Beach, 1887–1962)/書店主
- アメリカ出身の書店主。
- 1919年、パリに英語書店「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を開き、亡命作家たちの拠点となる場をつくった。
- 1922年、他の出版社が出版を拒んだため、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を自ら刊行し、作家活動を支える。
- 第二次世界大戦中に店を閉じるが、戦後も文学者たちとの交流を続けた。
- 長年のパートナーであるアドリエンヌ・モニエの存在も、ビーチの活動を支える大きな力となった。
『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店 (河出文庫)』
シルヴィア・ビーチ,中山末喜
2023/03/07
河出書房新社
一九一九年、パリ・オデオン通りに伝説の書店は開かれた。ジョイス、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ジィド…国際色も豊かに多くの作家が集ったその書店の、書物への愛に満ちた輝かしい日々。『ユリシーズ』の出版社としても名高い店主が鋭い観察眼とユーモアで綴る、二〇世紀文学の舞台裏。
ハリエット・ショー・ウィーバー
ハリエット・ショー・ウィーバー(Harriet Shaw Weaver, 1876–1961)/パトロン・編集者
- イギリスの社会改革家・編集者。雑誌『The Egoist』の編集長としてモダニズム文学を支援した。
- 1914年、『若い芸術家の肖像』草稿を読み、ジョイスの才能を見抜いて以後生涯にわたり経済的支援を続ける。
- 第一次大戦期には、文学基金や助成金の申請を仲介し、ジョイス一家の生活を実質的に支えた。
- 『ユリシーズ』出版後も援助を継続し、パリ時代の創作、とくに『フィネガンズ・ウェイク』を陰で支えた最大のパトロン。
- 編集・校正にも協力し、ジョイスと深い信頼関係を築いた。
- 1961年死去。ジョイスの文学的遺産を守る活動も続けた。
ポール・レオン
ポール・レオン(Paul Léon, 1893–1942)/友人・秘書的役割
- パリ時代のジョイスを最も近くで支えた友人。
- 1930年代、ジョイスの視力が悪化し執筆が困難になる中、原稿の整理、口述筆記、出版社との連絡、書類管理など、実務面の多くを静かに引き受けた。
- 家族問題が重なる時期にも寄り添い、『フィネガンズ・ウェイク』完成に欠かせない存在となる。
- 第二次世界大戦中、ユダヤ系であったためナチスにより逮捕され、1942年に死去。
- ジョイスの遺稿や書簡の保全にも尽力し、のちの研究にとって重要な役割を果たした。
サミュエル・ベケット
サミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906–1989)/弟子・友人・秘書的協力者
- アイルランド出身の作家・劇作家。のちに『ゴドーを待ちながら』でノーベル文学賞を受賞。
- 1928年、パリの文学仲間の集まりを通じてジョイスと出会う(当時22歳/ジョイス46歳)。
- ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』執筆期には、資料探しや口述筆記などを手伝い、秘書的役割を果たした。
- ジョイスの言語実験に影響を受けつつ、のちに極限まで削ぎ落とした独自の文体へ向かう。
- ジョイス一家とも親しく、ノラや子どもたちとも交流があった。
- 第二次大戦中はレジスタンス活動に参加し、戦後はフランス語での創作を本格化させた。
- ジョイスの死後も敬意を持ち続け、作品の価値を語り継いだ。
『ジョイス論/プルースト論:ベケット 詩・評論集』
サミュエル・ベケット,高橋康也,片山昇,川口喬一,楜澤雅子,岩崎力,安堂信也
2020/05/29
白水社
『フィネガンズ・ウェイク』の言語実験が壮大なスケールで点描される「ダンテ…ブルーノ・ヴィーコ・ジョイス」、『失われた時を求めて』のクオリアがあざやかに剔抉される「プルースト」。ベケットの出発点となった二大論文に、美術批評や詩作ほかを収録!
イタロ・ズヴェーヴォ
イタロ・ズヴェーヴォ(Italo Svevo, 1861–1928)/友人・支援者(トリエステ)
- トリエステの作家・商人。語学レッスンを通じてジョイスと出会い、20歳近い年齢差がありながらもすぐに親しい友人となる。
- ジョイスに『ダブリナーズ』や『若い芸術家の肖像』の草稿を読ませてもらった際、自分も小説を書いていることを明かし、ジョイスはその才能を見つけた人物として彼を強く推した。
- ジョイスは彼の才能を高く評価し、『ゼーノの意識』(1923)をヨーロッパに紹介して再評価のきっかけを作った。
- 創作の相談相手でもあり、互いに理解者として支え合った。
- 晩年にようやく注目され、死後その文学的価値が確立した。
- ズヴェーヴォの小説の主人公たちの性格や習慣が、『ユリシーズ』の主人公、レオポルド・ブルームの人物像(特にユダヤ人としての描写)に影響した可能性が指摘されている。
『ゼーノの意識 (上) (岩波文庫 赤)』
『ゼーノの意識 (下) (岩波文庫 赤)』
ズヴェーヴォ,堤康徳
2021/01/18
岩波書店
「お書きなさい。自分の姿が見えてきますよ」。医師の勧めで回想録を書き始めた主人公ゼーノ。嫉妬、虚栄心、背徳感、己を苛んだ感情をまざまざと蘇らせながらも、精神分析医のごとく自身の人生を淡々と語る。ジョイス『ユリシーズ』にもつらなる「意識の流れ」を精緻に描き出した、ズヴェーヴォ(1861-1928)の代表作。
ヴァレリー・ラルボー
ヴァレリー・ラルボー(Valery Larbaud, 1881–1957)/批評家・翻訳者
- フランスの批評家・翻訳者。多言語に通じ、ヨーロッパ文学の紹介者として活動。
- 1921年、パリでジョイスと出会い、その才能を熱心に擁護する。
- 『ユリシーズ』のフランス語圏での受容に大きく貢献し、講演や批評で作品を広く紹介した。
- 翻訳家ネットワークを通じてジョイスを支え、パリ時代の重要な理解者となる。
- 晩年までモダニズム文学の普及に尽力した。
『聖ヒエロニュムスの加護のもとに (ルリユール叢書)』
ヴァレリー・ラルボー,西村靖敬
2022/12/27
幻戯書房
ジョイス、ホイットマン、バトラーら英米文学から中南米文学、伊文学まで〈世界文学の仲介者〉として多言語の文芸を翻訳したコスモポリタン作家ヴァレリー・ラルボー──聖ヒエロニュムスの論考を筆頭に、500余名の文人をめぐり翻訳の理念、原理、技法がエッセイで説き明かされる翻訳論の白眉。本邦初訳。
メアリー・コラム&パードリック・コラム
メアリー・コラム(Mary Colum, 1884–1957)/友人
- アイルランド出身の文学評論家。
- 夫パードリック・コラムはジョイスのUCD時代からの友人。
- パリ時代にはジョイス一家と家族ぐるみの親交があった。
- 『ユリシーズ』出版直後に好意的な初期レビューを書いた数少ない批評家。
- 夫婦共著の回想録 『Our Friend James Joyce』(1958) はジョイス研究の重要資料。
パードリック・コラム(Padraic Colum, 1881–1972)/友人
- UCD(University College Dublin)時代からのジョイスの友人、パリ時代も含め40年以上の親交
- 妻メアリーとともにジョイス作品の擁護者
- 『Our Friend James Joyce』共著
- 詩人・劇作家・フォークロア研究者
- James Joyce Society会長(20年以上)
『人生と夢と』
メアリー・コラム,多田稔,三神弘子,小林広直
2025/04/04
幻戯書房
1920~50年代、アメリカの文芸誌、新聞に160篇をも超える文芸評論や書評を寄せ、〈アメリカにおける最上の女性批評家〉と称されたアイルランド出身の作家メアリー・コラム。
文芸復興運動の渦中にあったダブリンで出会い、文学の〈師〉と仰いだ詩人W・B・イェイツとの友情。英国から独立する契機ともなったイースター蜂起の首領たちとの親交。詩人E・ワイリーやH・クレイン、T・S・エリオットとの交流、パリ滞在で旧交を温めたジェイムズ・ジョイス一家との付き合い……〈人びとのささやかな夢〉を活写し、20世紀初頭のアイルランド文学史を裏書きする文学的自伝・回想録。本邦初訳。
フランク・バッジェン
フランク・バッジェン(Frank Budgen, 1882–1971)/友人
- イギリス出身の画家・作家・批評家。ジェイムズ・ジョイスの親友として知られる、落ち着いた気質の人物。
- 第一次世界大戦期のスイス・チューリッヒでジョイスと深く交流。よく一緒に散歩をした。
- 『ユリシーズ』執筆期に最も近くにいた友人のひとりで、創作過程を間近で見た証言者。
- 代表作は 『James Joyce and the Making of Ulysses』(邦題:『『ユリシーズ』を書くジョイス』)。この回想録は、ジョイス研究における一次資料として非常に重要視されている。
- ジョイス本人から聞いた構造・意図・制作の裏側を、誠実な観察者として記録した。
- 美術家としてはポートレートや風景画を制作し、ジョイスの肖像画も描いている。
- 議論よりも“聞く”ことが得意で、ジョイスが安心して話せる数少ない相手だった。
- 20世紀モダニズム文学の周辺人物として、今も研究の対象となっている。
- 1971年に死去。
アーネスト・ヘミングウェイ
アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway, 1899–1961)/友人
- アメリカ出身。1920年代パリで親しく交流した作家仲間。「ロスト・ジェネレーション」の一角として、同じ文学サークルや書店(シェイクスピア・アンド・カンパニー)に出入りしていた。
- ジョイスがヘミングウェイを非常に信頼していた。小柄で視力の弱いジョイスがパブでトラブルに巻き込まれると、背後に立って守ったという有名なエピソードがある。
- 文学的には対照的で、ジョイスは実験的な言語、ヘミングウェイは簡潔な文体を追求したが、互いの才能を尊重していた。
- 『移動祝祭日』では、ジョイスは“天才でありながら繊細で、時に危なっかしい友人”として描かれている。
- 年齢差は17歳。ヘミングウェイにとってジョイスは“尊敬すべき先輩作家”でもあった。
- ジョイスはヘミングウェイの“行動力”を頼りにしていた。文学的議論よりも、実生活での助けを求めることが多かった。
- 二人の関係は、親しみ+奇妙な依存が混ざった独特な友情。
- パリ時代の一時期だけの濃い交流で、その後の文学史でも、二人の交流はモダニズムの象徴的なエピソードとして語られる。
『移動祝祭日 (新潮文庫)』
アーネスト・ヘミングウェイ,高見浩
2009/01/28
新潮社
1920年代、パリ。未来の文豪はささやかなアパートメントとカフェを往き来し、執筆に励んでいた。創作の苦楽、副業との訣別、“ロスト・ジェネレーション”と呼ばれる友人たちとの交遊と軋轢、そして愛する妻の失態によって被った打撃。30年余りを経て回想する青春の日々は、痛ましくも麗しい――。
死後に発表され、世界中で論議の渦を巻き起こした事実上の遺作、満を持して新訳で復活。用語、時代背景などについての詳細な注解、年譜、および作品解説を付す。
オリヴァー・セント・ジョン・ゴガティ
オリヴァー・セント・ジョン・ゴガティ(Oliver St. John Gogarty, 1878–1957)/作品のモデル
- アイルランドの詩人・医師・政治家として知られ、ダブリン文学界の中心人物のひとり。
- 若い頃のジョイスと交流があり、1904年にサンディコーヴのマーテロ塔で短期間共同生活を送った。
- 公共の場でのいたずらや、歓楽街での深夜の酒宴を好むなど、派手で社交的な気質で知られていた。
- ユーモラスで時に下品な詩を作る才能があり、医学の記憶術に使われる歌詞を作ることもあった。
- 『ユリシーズ』の冒頭に登場する、太った陽気な医学生バック・マリガン(Buck Mulligan) のモデルとされる。
- ジョイスとの関係は複雑で、のちに疎遠になった。
アイリーン・ヴァンス
アイリーン・ヴァンス(Eileen Vance)/幼なじみ、作品のモデル
- ダブリン時代のジョイスの幼なじみで、若い頃に親しくしていた女性。
- ジョイスの妹と友人で、ジョイス家とも自然な交流があった。
- ジョイスは彼女に淡い好意を抱いていたとされ、『死者たち(The Dead)』のグリータ・コンロイのモデルの一人と考えられている。
- 彼女の雰囲気や若い日の印象が、ジョイスの“記憶の女性像”として作品に静かに残っている。
ジェイムズ・ジョイスに影響を与えた人物
文学・思想的影響
物語の骨格・世界の見方に関わる層
- ホメーロス
古代ギリシアの叙事詩人。『オデュッセイア』の構造と旅の枠組みが『ユリシーズ』の下敷きとなり、ジョイスの物語構造の根幹を形づくった。 - ダンテ・アリギエーリ
『神曲』の三部構成や巡礼の枠組みが、ジョイスの作品における“精神的な旅”のモデルとなった。象徴的な階層構造の感覚も受け継がれている。 - ヘンリック・イプセン
近代劇の自己形成テーマを通じて、若いジョイスに“自分自身を題材にする”という方向性を与えた。『若き日の芸術家の肖像』の根底にイプセンの影がある。 - ウィリアム・シェイクスピア
多声的な語り、引用の重層性、言葉遊びの豊かさなど、ジョイスの文体の基盤となる要素を提供した。『ユリシーズ』の随所にシェイクスピア的な響きがある。 - フランス象徴派(ボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌなど)
音とイメージの連関、曖昧さの美学、“言葉の音楽性”をジョイスに教えた。初期詩から『ユリシーズ』まで、象徴派の影響は深く残る。 - トマス・アクィナス
ジョイスの美学の枠組み(claritas, integritas, consonantia)を与えた存在。『若き日の芸術家の肖像』の美学論はアクィナスの思想に基づく。 - アンリ・ベルクソン
“持続(durée)”としての時間意識が、ジョイスの内的独白や意識の流れの描写に影響した。『ユリシーズ』の時間感覚の根底にベルクソンがある。 - ジャンバッティスタ・ヴィーコ
歴史はめぐり、また始まるという「循環の思想」を通じて、『フィネガンズ・ウェイク』の構造と世界観に深い影響を与えた。 - アーサー・シモンズ
象徴派を英語圏に紹介した批評家。ジョイスの初期詩や散文の美学に影響を与え、若いジョイスは自作を送り評価を求めている。
技法的影響
語り方・文体の方向を決めた層
- エドゥアール・デュジャルダン
意識の流れの先駆的な試み(ジョイスがその技法的影響を認め、のちに再評価の契機となった)
創作素材の提供
人物造形・言語素材として作品に入った層
- アルフレッド・H・ハンター
『ユリシーズ』の主人公、レオポルド・ブルームの人物造形の核となった人物の一人。ジョイスが若い頃、ハンターが酔ったジョイスを助けて家まで送り届けたという逸話が残っている。この出来事は、ブルームの親切で面倒見のよい性格の原型になったとされる。 - レオポルド・ポッパー
トリエステ時代、ジョイスが英語を教えていた女性の父親。ボヘミア系ユダヤ人で、地元の貿易会社「Popper and Blum」を経営していた。レオポルド・ブルームという名前を作る際のヒントになったと考えられている。 - 勝田孝興
日本のアイルランド文学者・語学者。「地震・雷・火事・親父」などの日本語をジェイムズ・ジョイスに伝えた人。
→ ジェイムズ・ジョイスに直接会った日本人のこと






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